●ROOM No.5(2007年10月)
「嘘をついてもいいじゃないか・最終回」
 前回までは戦争の話しが続いてしまいました。これはあくまで偶然です。しかし、嘘の話が止まらなくなって困っています! というわけで「最後の嘘」にお付き合いください。

 遠藤周作の名作「沈黙」にも私の宗教観を決定付けた「嘘」がありました。いや、これは前回までの話しと同様、単純な「嘘」ではなく非常に純度の高い思いに裏づけられた、ある意味「真実の言葉」とも思うのですが…。

「お前は彼等より自分が大事なのだろう。少なくとも自分の救いが大切なのだろう。お前が転ぶと言えばあの人たちは穴から引き揚げられる。苦しみから救われる。それなのにお前は転ぼうとはせぬ。お前は彼等のために教会を裏切ることが恐ろしいからだ。このわしのように教会の汚点となるのが恐ろしいからだ」そこまで怒ったように一気に言ったフェレイラの声が次第に弱くなって、「わしだってそうだった。あの真暗な冷たい夜、わしだって今のお前と同じだった。だが、それが愛の行為か。司祭は基督(キリスト)にならって生きよと言う。もし基督がここにいられたら」
 フェレイラは一瞬、沈黙を守ったが、すぐはっきりと力強く言った。
「たしかに基督は、彼等のために、転んだだろう」
                   「沈黙」 遠藤周作:著 より
              * * *

 この物語のクライマックスは、改宗をお上に迫られて拷問を受けるという隠れキリシタンたちにとって暗黒の時代が背景になっています。
 そんな中で「自分が転べば(改宗すれば)たくさんの人(自分も含めて)が助かる。しかし基督を裏切ることはできない」。ある意味ではこれ以上ない「信仰しているものに対する裏切り」と、「自らの(仲間たちの)拷問死」いう究極の選択に深く懊悩(おうのう)しながら、キリシタンの主人公は基督の踏み絵の前に立たされます。その時、いつまでも躊躇している主人公に向かって基督の「絵」が語りかけてきたのです。

「踏みなさい。私はそのために生まれてきたのだから」

 結局主人公は転んだ・・・と記憶しています。「宗教」という精神の非常に深い部分がテーマになっている物語でしたが、「人々を救うためならば」という前提においては「やはり嘘(というか自分の心に対する偽り)も時には肯定されるものなんだ」と高校生の私は思ったものでした(立場によっては別の解釈があるかもしれません)。確か、このシーンも国語の教科書に抜粋され、載っていたと記憶しています。その後、本を買い、全編読んだのは言うまでもありません(全て30年近くも前の話しですので記憶が変質していましたらご容赦ください)。

 最後に映画の話で終わりたいと思います。
 それは、「ザ・ロック」というショーン・コネリーとニコラス・ケイジが主演の映画。この中でニコラス・ケイジがショーン・コネリーのためにとてもイカした嘘をつく場面があります。これは「命」とは無関係。いたって軽妙なシーンでしたが、ショーン・コネリー扮する囚人が、警察の捜査から逃れ、生き別れになっていた娘に会いに行ったとき、追って来た刑事役のニコラス・ケイジが、娘のために嘘をつくシーンです。
 この映画はラストシーンでもニコラス・ケイジがさらにシャレた嘘をつき、物語全体を暖かくしています。詳しくは次のお休みの日にDVDでも借りて観てみてください。

 まとめます。みなさん、こんな嘘ならついてもいいと思いませんか? 世の中、ケースバイケースです! ただ、子供にはそのケースバイケースを判断する「基準」となるものを、きちんと教えておかなければなりません。そうしないと、ケースバイケースがただの気まぐれになってしまいますから。


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みぞけんまん
 みなさん、こんにちは! みぞけんまんです。
 このコーナーは、多くの対象の方(子供に関係する方全て)に気軽に読んでいただこうと思いまして、あれこれと考えた結果、特に親しみやすい「映画」や「本」などを切り口にしながら、あくまでアメリカンに、シュガー&ミルクたっぷり?にお伝えし、「全ての道は私立園に通ず」を実証していこうとするものです。
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