2000年度 園だより



3月1日 園長 斉藤昌子

 毎月一回、園児さんたちの様子をお知らせするためにれんらく帳をお渡ししていますが、お読みいただいたしるしと同時にお家での出来事などを書いて下さって、担任も保育の上で役立ちますのでと喜んでおります。
 今年もご協力をいただき、まことにありがとうございました。

 最近、ちょっと気になる会話を耳にしました。

 「子供の叱り方が分かりません。パパは仕事が忙しくて帰りも遅いんで...。」
 「あらっ。子供はほめて育てるんでしょ。叱っていいんですか?」
 「私、カッカするたちなんで、我が子を虐待してるんじゃないかと思うことがあって悩んでしまいます。」 etc.

 いずれも若いお母様たちです。

 以前は、「地震、雷、火事、親父」と言って、叱り役は雷親父で、お父さんが怒ったら怖いぞーというのが通り相場だったように思いますのに、先の話ではお母さま方が、真剣に叱り方について悩んでおられます。
 確かに、優しいお父さんが増えました。お仕事も忙しいでしょう。そこでお父さま方に提案です。

 初めての子育てに、日夜奮闘しているお母さまにどうぞいたわりの言葉ひとつをかけてあげて下さい。

 「今日も無事に子育てご苦労さん。」と。そしてお母さまからは、

 「今日も私達のために働いて下さって、ありがとうございます。」と返してくること請け合いです。

 子育てには、栄養たっぷりの「ビタミン」と、「ビタミン」が必要です。


親は我が子の最高の教師です  園主 原 篤子

 3月の声を聞くと、何となくホッとしたような、トンネルを抜け出て青空を見たときのような、ふわっとした喜びを感じますね。
庭の椿が咲き始め、さくら草が可憐な花をつけ、周りをピンクにそめています。
 この花々は決して他の花のまねなどしないで、それぞれの持ち味で精一杯咲くのです。見る人が居ても居なくても毎年同じように美しく咲いてくれます。雑草も同じです。「雑草という名の草はない。」とは昭和天皇のお言葉です。
 子どもも同じだと思います。個人個人の持ち味があって同じではありません。同じ枠にはめようと、絵の得意な子に体操の百点満点を求めたりするのはナンセンス。

 程々に、が大切です。

 幼児にはめる枠は、下記の三つ位でよいでしょう。

 嘘をつかないこと、人に迷惑をかけない、弱い者いじめをしない

思いやりの心とは感謝の心です。親がして見せて身につけさせることが大切です。以下、迷子を預かった「お巡りさん」のお話です。

 親が迎えに来たときの第一声が、我が子に対して、

 「大丈夫?ごめんね。」

 既に安全に保護しているお子さんです。我が子に大丈夫?などと言う必要があるでしょうか。一番にお礼を言うのは「お巡りさん」に対してではないでしょうか。子供の機嫌をとったり、あやしたり、心配しながら待って下さっていたのです。
 先ず、ご迷惑をおかけしました。ありがとう。の挨拶がほしいですね。

 これが人間性というものです。

 この間違ったやりとりを見た子どもは、「自分さえよければいいんだ。」ということしか覚えないでしょう。
 人間として大事な感謝の心は幼児期にこそ育ちます。
 親の姿を見て学ぶのです。17才になってからでは遅いのです。親が日頃から、お父さんが仕事をして下さるお陰、おじいちゃん、おばあちゃんのお陰、お母さんのお陰、先生のお陰、と感謝の気持ちを持てば、自然に我が子に伝わるものです。我が子が優しい心の良い子に育つこと間違いなしです。
 完璧主義ではなく、おおらかな心でお子さんを育ててください。

2月1日 園長 斉藤昌子

 今年も恒例の「祖父母ご招待日」を持つことが出来ました。
 折しも「大寒」の日で、夕方からは雪が降ってきましたが、皆様お風邪など召しませんでしたかしら?かわいいお孫さんのために多数お運び下さいまして、まことにありがとうございました。

 牟礼幼稚園では、日頃、

 「おじいちゃま、おばあちゃまは、一家の中心ですから大切な方です。目上の方を尊敬することは大事なことです。」
 「お兄さん、お姉さんの言うことを聞きましょう。」

 と理屈抜きで教えています。



 最近の新聞紙上で、我が日本の総理大臣の支持率が何と6%で、ついでにアメリカの大統領は65%と報じていました。他国の大統領のことをとやかく言うつもりはありませんが、フリンとかオショクとかで世界中に名をはせたあの方が65%もあって、我が国の森首相は別にそれほど悪いことをしたわけじゃないのに、ちょっと口がすべったかな?くらいなのに、どうしてこうも差があるのでしょうね?

 何とも情けない思いをしながら考えました。
 これは、今の日本は幼いときからの教育が一貫していないせいだと。
 目上を尊敬する、長幼の序を確立する、といった家庭生活では当たり前の筋道が、あやふやなのでは?と。
 核家族は仕方がないにしても、家の中でお父さんの座がしっかり保たれていますか?
 おやつを与えるときは、必ずお兄ちゃん、お姉ちゃんから先にあげていますか?
 上を立てる生活が習慣になっていないところから、アメリカと日本の差が出てしまったのでは?という気がしてなりません。

 21世紀を迎え、今こそ正しい日本人を育てるために、この課題に真剣に取り組むことを決意しております。


1月9日 園長 斉藤昌子

 2001年明けましておめでとうございます。
 牟礼幼稚園の皆様のご健勝を、心よりお祈り申し上げます。
 今年もまた、おだやかなお正月を迎えられたことを、感謝しています。
 園児さんの一人一人を思い浮かべて、昨年やり残したことはないか?と思ってみました。
 まだまだ一杯やりたいことがあります。
 もっともっと皆さんと遊びたかったんです。つい忙しくて、折り紙だって、ガラスを一回作ってあげたきりになっていましたよね。
 3月までには、ぜひ一緒にお弁当も食べましょう。

 先達、見学にみえたお客様の目の前で、一人の園児さんが、

 「園長先生ちょっと見ててェ」

 と鉄棒に飛びついて、くるっと前回転しニヤッと笑って向こうへ駆け出していきました。それを見てお客様が、

 「こちらの園の子は園長先生に直接話しかけていますね。少ないから出来るんですね。」

 とおっしゃいます。私は密かに思いました。「少ないから目が届いていいわね。」だけじゃないんですよ。
 牟礼幼稚園では園主先生自ら一人一人の子供にピアノの個人レッスンをしていますし、園長も絵画指導をさせていただきながら、クラスのみんなに接する機会を作っています。そして職員全体がクラスを超えて目配り気配りに精出しているんです...と。


お正月  園主 原 篤子

 お正月って、いいですね。何といっても心が改まります。
 子供の頃は待ち遠しかったお正月も、今ではあっという間に1年が過ぎて、もうお正月!という感じですが、やはりお正月という声を聞くと、心が弾み、何となく嬉しい気持ちになるのは不思議ですね。

 1という数字は物事のはじまりという意味があって、1から始めようとか、1からやり直そう、などと言います。
 人はいつも良い心掛けをもって成功している人ばかりではありません。数限りなく失敗を繰り返し、そのたびに「今度こそ。」と思います。その「きっかけ」になるのが1日なのです。
 私の母も毎月1日には必ずお赤飯を炊いてくれていました。「今日までの感謝とこれからの息災を願って」とのことでした。お誕生日以外にお赤飯が食べられる日とあって楽しみにしていました。特に1月1日は年に一度のことなので、皆さんも、

 「さあ、今年こそはよいことがありそう。がんばろう。」

 とお思いだったことと思います。

 人は「きっかけ」がないとなかなか腰があがりませんね。「明日からという明日は永久に来ない。」という諺があります。人が腰をあげる最高の日が1月1日だろうと思います。1日から、「今日は泥棒をしよう。」とか、「意地悪をしてやろう。」などと思う人はいないのではないでしょうか。「良い心」、「やさしい心」で一杯ですよね。この意味ではお正月はみんなが、「神様、仏様の心」になれる良い日です。
 たとえ三日坊主でも良いのです。10年経てば30回良い心になります。今年はどんな良いこと、嬉しいことがあるでしょう。

 「宝くじ」よりも確率ははるかに高いと思っています。


12月1日 園長 斉藤昌子

 11月11日の創立50周年記念式典に際しましては、多くの方々がお集まり下さいまして、皆様からお祝辞を頂戴しましたが、異口同音に牟礼幼稚園の教育方針が人生に大いに役立ったとお褒めの言葉をいただき、大変光栄に思うと同時に、わたくし達の方針が間違っていなかったことに意を強くいたしました。

 牟礼幼稚園が50年かかって培ってきたよい風習をこれからも営々と守り続けていきたいと、職員一同、身の引き締まる思いでございます。 

 今後共どうぞよろしくお願い申し上げます。



 良い「しつけ」は繰り返し習慣づけることが大切ですね。
 その点では、牟礼幼稚園の先生たちは根気がいいですよ。
 「今日できなかったら、明日またやりましょう」と決して無理強いしません。
 毎日の保育活動の中では、そういう人が何人かは必ずいますので、先生たちは仕事の手順をかなりしっかり立てておかないと、たちまちパニックの元となります。
 「後日、家庭を持ったらきっと役に立つから頑張って!」と励ましています。

 2000年の今年も、残り少なくなりました。
 素晴らしい年だったことに、心から感謝しています。そしてまた新しい2001年を積極的に迎えに行きましょう。


「気配り」と「おせっかい」 園主 原 篤子

 上記は一見似ているようですが、中身は全く反対です。
 幼児がフォークなどを口に入れたまま歩き回るのを見て、「危ない」と止めるのは気配り。幼児が自分で食べようとしているのに口に入れて食べさせるのは親切ではなく全くの「おせっかい」なのです。
 気配りが先を見通して善処することに対して、「おせっかい」は前後の考えもなく、自分の気分で手出し口出しすることで、いざこざの元になりがちです。人は一人では生きられません。
 江戸庶民の知恵から生まれた人付き合いとは気配りのことなのです。
 例えば、出かける時、近所の人が、

 「おはよう、お出かけですか。」

と声をかけます。
本人が、

 「はい、一寸そこまで。」

と返事をします。
これが近所付き合いの基本でコミュニケーションなのです。これ以上は聞きません。
「どちらまで?」と聞くのは禁句で、余計な「おせっかい」だそうです。

 狭い道でお互い体を斜めにして、すれ違うのも気配り。
 つい先日バスの中で男性の足を踏んだ娘さんを見ました。痛そうな顔をした男性に対して、その娘さんは、「ごめんなさい。」の一言もありませんでした。ブランド物の洋服もバッグも色褪せて見えたことでした。
 将来が思いやられるかわいそうな娘さんですね。

 おはよう、ありがとう、ごめんなさい、おやすみなさい、などの挨拶は、幼児の時から習慣づけないと、なかなか身につかないのです。
 「あいさつ」は、「しつけ」の基本と都知事の言葉にもあります。

 これからの日本を良い国にするためには、今の子供によいしつけをしていくのが親のつとめ、ひいては自分のためでもありますね。

11月11日 園長 斉藤昌子

 今年も紫蘇の実を美味しくいただきました。
 春になると、畑のあちこちに芽を出している紫蘇の苗がありますので、それを一箇所にまとめて「紫蘇畑」を作ります。園児さんたちはクラスの分と同時に、この紫蘇の畑にもせっせせっせとジョウロで水やりをしています。

 紫蘇はぐんぐん大きくなって、「ショウロウバッタ」のよい餌場になります。
 ある日、バッタを捕まえた1人の子供が、

 「あのね先生、このバッタって、紫蘇の匂いがするんだよ。ほら。」

 と差し出してくれました。「ほんとだ。紫蘇の匂いがするね。」

 若草色の小さなバッタ君は、牟礼幼稚園の小さな紫蘇畑で、一生を過ごしながら園児たちの生きた学習素材として、役割を果たしているのだなと感じたものでした。

 秋は、この紫蘇の実を、醤油と味の素で煮て、ご飯給食の時に一寸ずつ食べてみます。生まれて初めてという人もいますので、反応が面白いですよ。

 「これな~に? 虫みた~い...。」 「気持ちわる~い...。」
 「これ食べたことあるよ。知ってるよ。」
 「あっ。これ好きなんだ。いい匂い。」

 と、年長さんは得意顔です。

 今時、紫蘇の実をお鍋一杯煮て全園児に配ることができることを、何と幸せなことかと思います。畑の管理は、時々草茫々になってしまうクラスもありますが、「紫蘇畑」だけは安泰です。

 春の「じゃがいも」の植え付けまでにはまだ日がありますので、秋まきの「菜っ葉」にでも挑戦しましょうか?
 と、園芸係の池内、中村両先生と話しています。


10月1日 園長 斉藤昌子

  園児募集の時期を迎えました。
 毎日のように、「来年入園を希望していますが、手続きはどのようにしたらいいのですか?」というお尋ねの電話がかかります。ありがたいことと感謝しながら説明をさせてもらっていますが、ときどき、「ン?...」ととまどうことがあるのです。

 「園バスはないのですか?」
 「給食は何回ありますか?」
 「1クラス何人ですか?」等はまだいいとして、
 「うちの子は洋式トイレじゃないとだめなんですけど...もし和式だったらなおしていただけませんか?」
 「いじめっ子はいませんか?」 etc.

 「まあ、一度いらっしゃって、お確かめ下さい。」と言うことにしています。
 思ったことを素直に口にするのは現代の風潮ですから、なにもめくじら立てることもないかもしれませんが、戦中派の私どもには刺激が強すぎます。

 そうは言っても子を思う親としての気持ちには、今も昔も変わりありませんよね。むしろ我が子に対しての切々とした心情は、大変強いように感じられます。

 「子育て支援」をモットーにしている牟礼幼稚園です。
 どうぞどうぞ、お仲間になって下さい。
 そしてご一緒に良い子を育てましょう。
 「ありがとう」、「ごめんなさい」、そして、「はい」の挨拶が、心をこめて言える子供達を目指して!


子育てのヒント  園主 原 篤子

 「みのりの秋」
 色々な果物も実り、うれしい秋ですね。
 子供たちも同じように秋は心身ともに充実する季節だと思います。
 おいしい物をたくさん食べて体が大きくなります。
 しかし体だけ大きくなっても、それに伴って手足の器用さや思考力が伴わなければ困りものですよね。
 そこで手足の器用さや考える習慣を身につけるための一番の早道は、お母様方の口と手をしばらく眠らせておいて頂きたいのです。

 幼い子供は何をやっても時間がかかること一通りではありませんね。つい見ていられなくて手伝ってしまうのも無理はありません。またもじもじしているので待ちきれなくて次々と指示をしてしまう。
 よく分かりますが、これでは子供の練習する場がなくなってしまいます。運動の選手だって何百回何千回と練習を重ねて初めて出来るようになるのです。
 まして幼い子供が練習なくして何が出来るでしょう。

   自分で何でもやるように。
   自分で考えてみるように。

 1回よりは2回、5回よりは10回とたくさん練習をしたお子さんが優秀になるのです。
 お母様は手と口を出さず見守ってあげて下さい。

 自分の行動に責任を持たせることも重要です。
 むつかしい事ではなく身の回りのことが大切です。
 靴をそろえてあがる、これは幼稚園では徹底して守られています。お家でも守られているでしょうか?
 トイレのあと自分で水を流さないお子さんが目立ちます。3才児でも出来る筈です。

 以上はかわいいお子さんと言われる条件の一つです。


9月1日 園長 斉藤昌子

 皆様、お元気でしたか?
 「早く幼稚園に行きたいよぅ。」
 「今日は幼稚園ないの?」
 「カブト虫は元気かな」という声が聞こえてくるようです。

 お待ちどおさま。

 楽しいことがいっぱいの秋がやってきました。
 運動会、作品展、おゆうぎ会と、園児さんたちが日頃身につけた技(ワザ)を一挙にご披露したいと先生方も張り切っています。
 夏休みを利用して、園舎の床を張り替えましたので、益々気分も高まりますね。

 カブト虫は予定どおりサナギになって、1ヶ月したら成虫になりました。
 立派なツノを持ったオスと、ツノのないメスを観ることが出来て感激しました。
 オスはまもなく死んでしまいましたが、子孫を残す営みは果たしたと思われます。
 縁あって、牟礼幼稚園の子供たちにかわいがられたカブト虫です。
 土の中に産みつけられた卵が、また来年元気良くかえってくれればと祈らずにはいられません。
 子供達が、こうした自然界の姿にふれる機会が、極端に少なくなってしまった今、貴重な宝物のような虫たちです。先生方の努力も大変なものでした。
 乾燥を防ぐためのキリフキはしょっちゅうですし、甘い香りに敏感なアリンコに見つからないように、昆虫ゼリーを与えなくてはいけませんし、夏休みも当番で虫たちの面倒を見てくれましたよ。
 そういえばスズ虫も、涼しいうた声を聞かせてくれています。

 そこで園主先生と園長は考えました。
 来年の夏は、自由当園の日をもっともっとたくさん作って、園児さんたちに喜んでもらえたらいいなと。実現に向けて最大限の努力をお約束しましょう。


園児のみなさんへ  園主 原 篤子

 こんにちは。今日はとても明るく良いお顔で幼稚園に来ましたね。
 1学期終業式の日に園長先生とお約束した、「はい」のお返事が立派に言えて元気で大きくなったのね。先生も大変うれしいですよ。
 明日からまた幼稚園でお友達とたくさん遊びましょうね。

 もし困ったり泣きたくなった時にはね、お空を見て1、2、3、4、5と、5まで数えてごらんなさい。
 そしたらね、腹の立ったことも、泣きたかったことも、みーんなお空の雲さんが持っていってくれますよ。
 ためしてごらんなさいね。
 毎日泣きたくなってもいいのよ。毎日お空を見ても、お空は決してなくなりはしませんからね。
 
 さあ、2学期。また面白いお話をしましょうね。
 夏だから最初は海の中のお話をしましょう。
 お話の日は水曜日でしたね。待っててね。


7月1日 園長 斉藤昌子

 いよいよ本格的な夏の到来かと思う今日この頃です。
 4月に入園されたお子様たちも、毎日の幼稚園生活にすっかり慣れて、パワー全開の日々を送っています。
 体力、気力共についてきたのでしょう。最近はお休みする人も少なく、園内の木々や草花、そして小さな虫たちとの会話に余念がありません。

 「センセイあのね、ダンゴムシとアリンコがきょうそうすると、めっちゃアリンコのほうがはやいんだよ。オレみたんだもん。」

と熱心に説明してくれる年長の男の子たち。

 「このはなびらね、とったんじゃないのよ。おっこってたの。」

と年少さんに優しく教えてあげている年中の女の子たち。
 そして年少さんたちは、朝の名曲鑑賞を始め、手遊びだって行進だって見事にこなしておりますよ。立派です。1分だってじっとしてることが苦手な3才児だったのに...。
 そういえば、春の遠足(神代植物公園)以来、しっかりと歩けるようになったんです。


 正直言って今年は去年に比べると、ほんの少し時間がかかったのは事実です。
 でも心配は不要でした。お子様たちの吸収力はめざましいもので、歌でもおゆうぎでも一度できちっと覚えてくれますので、うっかりでも間違えることはできません。
 もし間違えでもしたら、二度と訂正は難しいことになります。

 実は担任の先生方も頑張りました。園児さんが帰った後、毎日のように打ち合わせをし、また反省会を繰り返しました。これはもちろんこれからも続けるのですが、最近になってようやく、「子供ってかわいいですねぇ。」という声が聞けるようになりました。
 俗に(3日、3月、3年)と言いますが、平成12年度もちょうど3ヶ月ですね。
 ここまで来れば一安心。みんな5月病にもかからずによくやってくれました。


6月1日 園長 斉藤昌子

 母の日に続いて、6月の第3日曜日は父の日です。
 そこで、お父さんの役割について考えてみましょう。
 「幼稚園110番」でおなじみの森本邦子先生のお話から抜粋いたしましたが、私も全く同感です。

 お父さんの役割 

 今時は育児休暇などという結構な制度もあって、愛児のための入園、入学式や、卒園、卒業式などへの出席も積極的になってきています。

 ただ一寸待ってください。お父さんの役割をキチッと果たしていらっしゃいますか?
 うっかりすると、お母さんの手の足りないところを、請け合ってくれる存在だったりして...。

 「あなた!少しは手伝ってよ。私ばかり忙しいんだから...。」

 などという声が聞こえてくるようですよ。

 お父さんの役割はただ1つ。社会のルールをピシッと教えることです。
 例えば、幼稚園に行きたくないなどと言うわがままは通らないんだ、ということをきっちり教えることです。
 子供が、朝ご飯を食べないでグスグズ言っていたら、それはどこかが間違っているわけです。昨夜、遅くなかったかどうかが、先ず気になります。

 子供は早寝早起きが原則です。しっかり食べてしっかり遊んで、疲れたら休息を。それで、子供の言い分をよく聞いてあげる。

 「友達と遊んだ、ケンカした、痛かった、そうかそうか。良かったね。足も手もついているよ。」

と、おおらかに受け止めてください。

 それがお父さんの役割です。


母の思い出  園主 原 篤子

 それは私が女学生(今の中学生)のころでした。

 夕食後の食器洗いはわたくしの役目でした。
 その日は何となく気が乗らず、食後の果物を食べた後、いつまでも座っていました。
 食器を片付けてからゆっくりしなさい、と父に言われて、渋々立ち上がり、嫌々ながら片付け始めました。
 当時の流しは土間にありましたので、食事の座敷からは下駄を履いていかなければなりませんでした。
 嫌々ながらでしたから、当然食器を乱暴に扱って洗っていたのです。
 心ここにあらずですから当たり前ですが、ふと手が滑って大切な大皿を落として割ってしまいました。

 「しまった!」

 と思っても後のまつり。どうしよう!

 その時、母が一言、「手を怪我しなかったの?」

 わたくしは母の言葉に心から悪かったと思いました。
 50年以上たった今でも、はっきりと思い出し、心が痛むのです。
 あの時叱られていたら、こんな出来事は一切忘れてしまっていたと思います。

 母は物静かな人で、ガミガミと叱られたことは一度もありません。
 常日頃から体を作るのが大切と栄養に心を配って、食べ物に好き嫌いを言わないようにしつけてくれた母のおかげで、今日まで長生きできたと感謝です。

 母の日を前に亡き母の一端を記してみました。


4月7日 園長 斉藤昌子

 新学期が始まりました。ご入園おめでとうございます。
 在園児の皆さんには、御進級おめでとうございます。

 希望に胸を一杯にふくらませていらっしゃる皆さんのご期待に添うように、牟礼幼稚園の職員一同、心を込めて保育にあたる決意をしております。どうぞ安心してお任せいただきたいと思います。
 生まれて初めて家族以外の人の中でひとときを過ごす新入園児さんの緊張には、大変なものがあります。慣れるまでは降園後の休養が何よりも大切ですので、よろしくお願いいたします。



 さて、牟礼幼稚園にとって、今年は創立50周年にあたります。創設者の原 園主先生は、

 「あまり過去を振り返る習慣がなかったので、そんなに長かったとも思ってないんですよ。まだまだこれからやりたいことは山ほどあるし。」

と、涼しい顔です。
 幼児教育が多様化していく中で、50年間一貫して持ち続けてきた教育理念は、いささかもゆるぎなく、今年も貫き通します。つまり、牟礼幼稚園は、子供第一主義でまいります。
 どちらにしようか?と迷ったときは、子供にとってよい方向で判断します。今までも、多くの悩みを解決してまいりましたが、間違えることはなかったと自負しております。

 今年もまた保護者の皆様と、子育てについて大いに語り合いたいと思っております。かけがえのない、大切な大切な魂の、本当の個性を求めることは、私達大人の責任ではないか?と思っています。
 どうぞお気軽にお声をかけてくださいますように。